9月5日(土曜日) 上野恩賜公園
無念の引き分け!
▼局長と川口ダンナ撮影のpicasawebアルバム
▼PinkBoys木村さんのPicasaWebアルバム
▼部長報告
参加10名:オガワ、川口、川口哲、塩田、宍田、花本、山岡、渡辺和、渡辺博、吉原
快晴の上野の山でのピンクボーイズ戦は、ピンクボーイズ先攻で試合開始。
ブッカーズ先発は、川口投手。
丁寧にコーナーを投げ分け好投も、わずかの隙をつかれて2点先行される。
1回裏、ブッカーズの攻撃。1番川口哲選手、2番花本選手が連続ヒットで出塁。
得意の序盤攻撃かと思われたが3、4番の塩田選手、ナベカズ選手ともに返せず0点。
しかし2回の裏、2者四球にオガワ選手がヒットで続き満塁、山岡選手がヒットでまず1点返す。
さらに四球、川口哲選手、花本選手の連続ヒットなどで得点を重ね、計5点、逆転!
しかし、打倒!?ブッカーズに燃えるピンクボーイズの猛攻反撃で5点をとられて、再びリードを許す。
序盤3回を終わって5対7。
4回から、ブッカーズはエース花本投手で体制整えて、反撃開始。
宍田選手の四球に続き、山岡選手が2打席連続のヒット、さらに吉原四球で満塁。
これを花本選手が2者返して同点。7対7。
後半は、お互い譲らず決定打なく、時間切れ引き分けとなりました。
ピンクボーイズ伊藤投手の山なりボール軟投にてこずり、最後まで打ち崩せなかった。
ヒット数は9本、四球は7個も。
2安打は、川口哲選手、花本選手、山岡選手。
上野恩賜公園野球場は、正式名「上野恩賜公園正岡子規記念球場」というらしい。
以下、ウィキペディアによると
「この球場の名前を冠している正岡子規は、明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、明治19~23年頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたという。
その証拠に子規の随筆「筆まかせ」の中に、明治23年3月21日午後、上野公園博物館横の空き地で試合を行った事が書かれており、その時子規は捕手を守っていた事が分かる内容が書かれている。
その後、子規は野球を題材とした俳句や短歌・小説・随筆を発表して野球の普及に貢献した。また、数々の野球用語を日本語訳したことも知られる。
このような功績を称え、上野恩賜公園開園式典130周年を記念し、平成18年7月21日に上野恩賜公園野球場で句碑の除幕式と正岡子規記念球場の愛称が披露された。句碑には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれている。」